昔の偉人たちは年齢を重ねる毎に、どんなふうにものごとを考え行動し生きてきたのか、その人が遺した自伝や伝記などを紐解いています。

以前、僕の知人に、国立大学の経済学部の教授で、今は名誉教授というたいへん立派な90歳になる男性を紹介されました。

その方と僕とはたいへん気が合い、それから何回か会っていろんな話を聴かせて頂きました。「先生は、自叙伝とか自分史を書かれないのですか?」と訊いた時、「カンさん、実はもうすでに書いたんだよ。これこれ」と言って《徒然草》という題名で書かれたその方の自伝を見せて頂きました。

大学生活で出会った人たちとの交流、専門である経済学を研究していた時の心もよう、退官したあとの夫婦の会話など、克明にしかもわかりやすく書かれていた。

《徒然草》とは? かつて日本でもっともよく読まれていた本のひとつですね。最近はどうかわかりませんが。“徒然なるままに、日暮し硯に向ひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ物苦ほしけれ。” 

《徒然草》のこの冒頭はとても有名。徒然、つまり退屈でならない吉田兼好(けんこう)法師は、終日硯を前に置いて「心に浮かぶとりとめのないことをあれこれ書いてみた。読み返してみると、我ながら妙なものが出来上がった」という意味なんです。

現役を退くとにわかにやることが無くなっていく。当初は「ああ、せいせいした。これからは自由な時間を活かして趣味とか旅行とかゴルフとか、好きなことをいっぱいやるぞ。」と言う人もいるけれど、大方の人は時間を持て余し、新しい生き甲斐探しに取り掛かっているというのが実際のところかもしれませんね。

兼好も、おそらく同じような気持ちだったに違いない。けれどもともと歌人であった兼好は、古典に通じて、机に向かって読んだり書いたりするのは得意でしたからね。いつも手元の硯と紙があったのでしょう。

もちろん、世の中は兼好のように文章を書くことが好きで得意なひとばかりではありません。だけど昔の思い出のかずかずを、兼好にように心に浮かんだをあれこれを口に出して語ることはできるはず。それを私たちが書き留めて、その人だけの《徒然草》にして後世に遺していくことを推し進めているのです。

〔この画像は、僕の中学時代の同級生武笠弘子さんが、長野県の北八ヶ岳で撮影したものです。〕

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