東洋に自伝なし」という言葉があるように、功なり名を遂げた人たちはともかく、一般的に自伝を書くという文化はこれまで日本をはじめ東洋にはなく、ヨーロッパの国々やアメリカなどで根付いてきました。その理由のひとつに宗教文化の違いがあると思います。東洋は儒教や仏教であり、一方西洋はキリスト教ですね。

仏教なら、人生は空しくはかないものでそれに執着してはならないという感覚があって、自分を人生を振り返ることに躊躇させる、ましてやそれを後世に遺すことの発想がそもそもない。

儒教は〈恕(じょ)〉、つまり思いやる心が大切だと教えています。他人の価値観や人生観にはずたずた入り込むな、非難の目を向けるなとなると言います。自伝はどうしても他人との利害関係に関わってくるのでなかなか手がつけられないのでしょう。

これに対して、欧米人は自伝を作り出すとき、自分自身を赤裸々に言葉にしたり書き綴ることで「神に対して告白する」という宗教的な考え方が原点にあります。この時、相手のなかにもずんずん踏み込んでいく。

聖書のマタイの福音書に「自分にしてもらいことは、他人にも同じようにしなさい」という言葉がありますが、これは相手の価値観や人生観などはあまり考えずに、自分の考え方は相手も同じなのだから進んでやるべきという意味もあり、自分の生き様だけをすんなり書くことができるようなると言います。

けれどもこれからは、敢えて言うなら、長い歴史を通じて培ってきた東洋的な宗教思想や、伝統や風土の中で育まれてきた民族意識を踏まえ、孔子の言う「寛容の精神」をもってこの日本に自伝文化を作り上げていきたいものです。

口述自伝制作“ライフヒストリー良知”において、こんな思いを事業の根底に流していこうと思っています。私たちは、〈日本の自伝文化の創造を志向すること〉、これをビジョンのひとつに掲げているのです。