色川大吉という作家が、ある昭和史―自分史の試みという本を出して以来、自伝を書くというのが静かなブームになってきていますね。

色川さんは、自伝ライフヒストリーに対する歴史的経緯に触れているので紹介しますね。

江戸時代になると、それまで侍の独占物であった印刷物が庶民のものになって、技術的には木版刷りの発達で、「読み売り」とか「枕絵」とか「草双紙」あるいは「読本」という形で、庶民の中に広まる。このころから人々の中にある、自分の表現したいものを形にして、しかも多くの人にそれを見てもらいたいという願望が少しずつ実現されていく。

全人口の7割余を占める百姓はどうだったかというと、柳田国男などは、村では「口承文芸」、つまり口から口への言い伝えの文化が主流であるということで、その価値を高く評価し民話や民謡の研究をして、村ではこういう形で文化が伝わっていった。

江戸時代の終わりになると、字の書ける人が書けない者の詠んだ句まで書いてあげて、そのうち出来のよいものをお寺や神社に奉納したりしている。民衆の中にかなり広範囲に自己表現の機運が広がっていたことがわかる。

民衆が自分を表現することと、印刷あるいは出版の歴史を結び付けてみると、面白いことが発見できる。

昔から自費出版は、商業出版にのらないものを信念を曲げないで世の中に出す方法でした。これによって自分の存在意義を自分で確認し、さらに人にも認めさせたいということだったのです。

庶民が自分のことを表現してきた長い歴史があるけれども、これが自分の人生を自分で表現したライフヒストリーという形で現れてくるのは第二次世界大戦後のことになる。

このように、ライフヒストリーの歴史には相当長く深いものがあって、今展開している口述自伝作成ライフヒストリー良知事業は、いわばそんな古典の復古と言ってもいいでしょう。

ところで、ドイツの有名な哲学者にフリードリヒ・ヘーゲルという人がいるのですが、この人が説いた理論が弁証法で、これは哲学の最高峰というわれるほど難解なもの。

これを簡単に言うと、『互いに矛盾して対立するかに見える二つのものに対して、どちらかを否定したり割り切るのではなく、両者を肯定して統合(「止揚」という)し、よりよい案を生み出して高みに向かってゆく技術のこと』。

この弁証法に、先日も紹介しましたが、『昔懐かしいものは復活し螺旋階段を登るように進歩発展していく』という言葉があって、これをライフヒストリー良知に当てはめるでみると、『かっての紙と文の文化は止揚して進化し、ITと統合する』となります。

つまり、他者に伝達し伝承するための文や本は、今後ホームページや電子書籍と共存し、共栄し、棲み分けていくのですね。このようにライフヒストリー良知はこんな螺旋的発展を目指しているのですよ。