前回、作家・保阪正康が出版した《自伝の書き方》についてのお話をしましたね。

保阪は、かなりの数の著名人の自伝に目を通して論評しており、私が知る限り、「自伝や自分史に関する専門書や研究書」の中では第一級の書籍でしょう。

前回言ったように、保阪は、この本の中で「近代人はなぜ自伝を書くのか?いや書きたがるのか?」という問いに「書きたいから」と「書きたくないから」のいずれかによって、人は自伝を書くと述べています。

では、「書きたくないから」というのは、どういうことなのでしょうか? 何か矛盾しているようですね。

明治時代から今日まで、著名人と称される人の自伝本の中には、編集者や門弟から促されて、しぶしぶ書いたというものがかなりの数に及ぶのですが、

これは、本音で言えば「決して書きたくないのだが、自分が書いておかなければ、第三者によってどのように書かれてしまうのかわからない。だから今、自分で書いておこう」と類の自伝ですね。

昔は政治家や軍人のものに目立っていると保阪は言っていますが、ただ、名もなき一般の人には適用されないかもしれません。

ところで、保阪は「あなたが自伝を書くなら、さしあたり、次の3ヵ条は守ることを薦めたい」と述べています。それは、

(1)見え透いたウソは書かない。

(2)自ら筆をとる気がないなら、良きゴーストライターをさがせ。

(3)「誰に読ませるのか」という視点を持て。

(1)見え透いたウソは書かない。

私自身、口述自伝を制作するにあたって、もっとも正直な心理は、勝海舟の父である勝小吉が書いた《夢酔独言》の次の一節だと確信しています。

「俺ほど馬鹿な者は、世の中にあんまり有るまいとおもう。故に孫やひこのために咄(はな)してきかせるが、能く能く不法もの、馬鹿者のいましめにするがいいぜ」

勝小吉は、42歳のときに思いあたって自伝を書いた。その正直な語り口からは、放蕩を続けたときの心理がものの見事に浮かびあがってきます。

かつて作家の坂口安吾は、「人の目からみれば放蕩無頼でやること為すことトンチンカンで、終始つぐなわざるバカモノにすぎないが、このオヤジの一生にはちゃんと心棒が通っていた」と言っているのは、まさに至言ですね。

時代がどう移り変わろうと勝小吉は、人として大地に足を踏みしめて、ウソや偽りなく、恥をも隠さず自分の心情を露呈した。だから小吉の自伝は、今もなお人を惹きつけるのでしょう。