有名ならざる人が晩年に自らのライフヒストリーや生きざまを書いて遺すということが、ヨーロッパではひとつの文化として定着していますね。
自伝を書く、或いはライフヒストリアンの聞き書きによって自伝を完成させ、それを家族に見せたり、友人や知人と見せ合ったりすることが頻繁に行われています。
一方、日本を含むアジアの国々では、〈東洋に自伝なし〉という言葉があるように、ライフヒストリーを書いて遺すような習慣はこれまでなかったに等しい。 最近でこそ自分史を書くことがちょっとしたブームになっているけれど、まだまだ一般的ではありませんね。
日本経済新聞の裏面でたいへん人気がある『私の履歴書』で書かれているのは、その世界で功なり名を遂げた人たちばかりで、普通に生きてきた人が載ることはまずありえないですね。
ところで、私がライフヒストリアンとして、顧客のライフヒストリーの聞き書きする際、「あなたの人生の歴史や物語には素晴らしい価値があるんですよ。」という言葉を必ず投げかけています。
過去への回想には、楽しく喜びに満ちた経験ばかりでなく、辛く苦しい経験の両方がありますね。大切なのは、その意味を一緒に考え解釈し直し、顧客に自信と勇気を与えることだと思っているのです。
「回想はセラピーだ」といっても過言ではないでしょう。つまり、中・高齢者にとって常に変化する現実の社会で、回想は自分が何者であるかを認識させ、感情を豊かに高ぶらせるために必要なセラピーであるのです。
回想によって、ひどく落ち込んだ人や抑うつ状態になっている人の心を再び元気付けることができるのです。
また、軽度の認知症を抱える人の記憶をいろんな手がかりによって想起させ、症状を改善させたり進行を防ぐ有効な療法であることは、これまで数多くの研究成果から明らかとなっています。
ライフヒストリー良知では、ライフヒストリアンでありセラピストである私たちが、云わば車の両輪として、〈東洋に自伝あり〉という文化を必ず築くことができるという信念を持って推進していきたいと思っているのです。