五木寛之といえば、かつてベストセラーになった〈青春の門〉という小説で有名ですよね。学生時代、この本を貪り読んだものです。その彼が何年か前、〈孤独のすすめ〉というエッセイを書いていたので、読んでみると、

高齢化社会を迎え人はどう生きるべきか?”という命題に対して持論を述べ、共感するところもたくさんあって、さすが五木寛之だとひとり感心していました。

その中で、終わりの章あたりに〈回想のすすめ〉という文章が書かれてあるので、少し紹介しますね。

「最近は、未来を考えるより、むしろ昔を振り返ることが大事だと思っています。記憶の抽斗(ひきだし)を開けて回想をし、繰り返し記憶を確かめるたびに、ディテールが鮮やかになってくる。それが、日々の楽しみになるのです。」

「過去を振り返るのは後ろ向きだ、退嬰的だと批判する人もいます。『高齢になっても前向きに生きよ、それが元気の秘訣だ』という意見も、少なくありません。しかし高齢者の場合、前を向いたら、死しかありません。それよりは、あの時はよかった、幸せだった、楽しかった、面白かったと、さまさまなことを回想し、なぞっていったほうがいい。」

「蘇った思い出が楽しいものであればあるほど、心理的な効果が高いと言われています。自分の人生、捨てたものではないと、肯定的な気持ちになるからです。」

回想は投資信託と違って、元本を割り込む心配もありません。しかも元手は自分の頭の中にあるわけですから、無限に存在している。これほど安心で、しかも効果が期待できる財産は、そうそうありません。」

「人間不信と自己嫌悪は、人が明るく生きていく上で大きな障害になります。それを、どういうふうに手放すか。私はこれも、回想の力によって乗り越えられると考えています。」

「だから私は、気分が滅入ったときはたくさんある記憶の抽斗を開けて、思い出を引っ張り出すようにしています。そうやって回想して咀嚼しているうちに、立ち直る自分がいる。最終的には、人間とは愛すべきものだというあたたかい気持ちが戻ってきます。」

「誰でも生きていれば、つらいことや、嫌なことは山ほどあります。しかしそういう記憶は、抽斗の中にしまったままにしておいたほうがいい。落ち込んでいる時、弱っている時は、なんともいえないバカバカしい話が逆に力になることがある。賢人の格言より、思想家の名言よりも、生活の中でどうでもいいような些細な記憶のほうが、案外自分を癒してくれるのです。」

「しかも歳を重ねれば重ねるほど、長年生きた分、そうした思い出の数は増えていくはずです。いわば頭の中に、無限の宝の山を抱えているようなもの。」

「そうした日常生活の中でのちょっとした出会いや思い出の記憶のノートにしっかり記しておいて、ときどき引き出して発掘〉〈発見するのは、下山の時期を豊かにするためのいい処方箋です。」

「そのためにも回想力をしっかり育てたいものです。〈玄冬〉のさ中にあって、ぼんやりそんなことを思っているのです。」

冒頭の“高齢化社会を迎え人はどう生きるべきか?”という命題に対する見事な答えだと思いますね。