近世の自伝を眺めていると、この時代の特徴は、自伝的な作品がたいへんバライティに富んで、多様化していることがわかります。
その中心になるのが武士たちで、サムライによる自伝のなかに優れた作品が見られます。自伝研究家の佐伯彰一は、新井白石の〈折たく柴の記〉、山鹿素行の〈配所残筆〉、松平定信の〈宇下人言(うげのひとこと)〉の3人の自伝を『侍自伝の3部作』と呼んでいます。
この中でも新井白石の自伝は、この出現によって初めて、「明確な理念をもって、内的な世界を確立したひとりの男が、自らの人間像とその軌跡を描き出した(佐伯の言葉)」として、今日、近代以前の自伝としてはもっとも高く評価されている作品ですね。
以下はその一文の現代訳です。
◆◆また夜になって手習いをしていると、眠気をこらえきれないので、私につけられた係の者とこっそり相談し、水を二桶ずつ、その竹の縁に汲んで置かせ、大層眠気を催す時には、着物を脱ぎ捨ててまず一桶の水をかぶり、また着物を着て手習をする。
初めは冷たくて目が覚めるような気持ちがするが、しばらくすると身体が温かくなり、またまた眠くなったので、さき程と同じように水をかぶる。そして二度水をかぶる頃には、大体は日課も終わった。これは私が九歳の秋から冬の事である。◆◆
これだけの地位と学識のある人の本格的な自伝としては、日本最初のものです。ここに引用したのは上巻の「日課手習の事」の部分で、藩主と父の命により、文字の習得に励む場面です。
8~9歳ということなので満年齢に直せば7~8歳、小学2~3年生に当たります。江戸時代の文書や書物は行書が基本ですから、寺子屋でも行草を習い始める年齢は現代より相当に早いものでした。
手習いとして筆で1000字書くのに要する時間は、慣れていても1時間(3600秒)以上はかかるから、合計4000字書くのは、集中していても数時間はかかるでしょう。準備や片付け、休憩や生理現象まで含めると、他のことは何もできない。その年齢で真冬の夜に自発的に冷水を浴びるというから、その意志の力は並外れていたことがわかりますね。
白石は『折たく柴の記』で父に教えられたことについて、「常に思出らるゝ事は、男児はたゞ事に堪ふる事を習ふべきなり・・・・と仰られき。我八九歳の頃より、常にこの事によりて力を得し事も多けれど・・・・」と述べているので、「堪えがたきを堪える」性格は父の厳しい訓練の賜物だったようです。
久留里藩主の土屋利直は、幼いながらも気が強く賢い白石を、「火の子」と渾名(あだな)してかわいがり、常に側に置いていました。13歳で藩主の手紙を書いたということは、地方自治体の長の手紙を小学6年生か中学1年生が代筆したようなもので、白石の早熟の才能を物語る逸話ですね。
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【新井白石画】
18Shirakawa Masahiro、小林弘運、他16人コメント1件いいね!コメントするシェア