〈自伝〉には近代化のシンボルという要素がありますね。ここでも何回か取り上げましたが、明治以降の自伝では、まず何と言っても、福澤諭吉の〈福翁自伝〉があります。それと対照をなすのが内村鑑三の〈余は如何にして基督信徒になりし乎(か)〉でしょう。

これに勝海舟の父小吉の〈夢酔独言〉を加えます。もっとも小吉は日本の近代化に貢献したかというと、していない。しかし、世界広しと言えど、息子海舟ほどの傑物はおらず、海舟を育てた人物として、また、これまでにはなかった自らの生き様を赤裸々に世に伝えるという手法で自伝を著しました。その意味から、明治期の近代化に向かう三大自伝のひとつに数えたいのです。

〈福翁自伝〉は、たいへん生き生きとした自伝ですが、背後には、やはりアメリカのフランクリンの自伝の影響を見逃すことができません。経歴が似ているだけでなく、書き方や語り口でもフランクリンからかなり示唆を得ていますね。

内村鑑三は英文で自伝を書いています。アメリカ国民に向かって語りかけようとして、異教徒である自分が如何にしてキリスト教徒に改宗したか、ということにテーマを絞っています。

この信仰告白というものは、これまで数多く書かれた西欧の自伝の中核を成すものですね。おそらく、明治期になって西洋から入ってきた自伝を読むことによっていろいろと刺激され、自らも自伝を書こうという気持ちになったのでしょう。

渋沢栄一が書いた〈雨夜譚(あまよがたり)〉もまた、明治維新前後の栄一自身の経歴がたいへん躍動的に語られています。日本の郵便システムを確立した前島密は、〈鴻t爪痕(こうそんこう〉という自伝を遺しており、密の青春時代の考え方や行動がいきいきと描かれていますね。

さらに、日本の実業家、或いは政治家として大きな業績を残した高橋是清の自伝があります。是清は若い頃、奴隷としてアメリカへ売られて行ったのですが、やがて日本の大蔵大臣となって財政を引き回すに至ったという劇的な生涯を送っており、そのことを自伝の中で語り綴っています。

このように見ると、日本の近代化の推進者であり、また近代の欧米諸国と直に接触した人たちや、近代化の実行に携わった人たちが、例外なく自伝を書き遺しているのですね。