明治時代以降、日本が近代化に至る過程で活躍した著名人の自伝について、前回ご紹介しました。

日本の自伝と嚆矢とされるものとして、10~11世紀の平安時代の女流日記があります。「日記」と名乗っていますが、全体を見てみると、書き手の生涯を捉えその生き様を描いているものが少なくない。

特徴的なことは、例えば〈蜻蛉(かげろう)日記〉〔作者藤原道綱の母〕にしても、或いは〈更級(さらしな)日記〉〔作者菅原孝標(菅原道真の5世孫)の二女〕にしても、何とかの母とか、何とかの娘という形で残っているものの、本名がわからない作者が多い。

そんな無名の女性が、それ程劇的な事件があるわけでもないのに、自分の一生涯を記録しているのです。ほとんどプライベートな側面だけが扱われていて、公的なものはあまり姿を見せていませんね。

自伝研究家の佐伯彰一さんは、

「10~11世紀の女流の書き手は、『日記が文学である』ことをいささかも疑わなかった。おおよそ日記や自伝的なものが文学的ジャンルと実質的に認められるのは、ヨーロッパではずいぶん長い時間がかかった。18世紀末のロマン主義以降の話だ。

それがほとんど無意識の内に、平安時代に日本で達成されたという、驚くべき逆説に我々は出会うのである。」と言います。

平安時代は、血縁的に近い人ばかりがいる狭い世界の中で、いわゆる文学的エリートの温室のような条件のもとに、それらが成り立っていたのだろうと思っています。

その視点で中世を見てみると、やはりそれがしっかり引き継がれていることがわかりますね。

〈とはずがたり〉という有名な作品があります。〈とはずがたり〉とは文字通り、「問わず語り:人が尋ねないのに自分から語り出す」ことであり、時代は鎌倉時代後期の頃で、作者は後深草院二条。14歳から49歳までの生き様を赤裸々に書き綴っています。

彼女は天皇の愛人でしたが、なかなかエロチックな発展家らしく、いろんな人と恋に陥り最後は僧侶とも恋愛をしています。そんな自らの性的な冒険を、たいへん生き生きとした文章にして仕上げていますね。

中世はまた、鴨長明の〈方丈記〉にあるように、自分のささやかな生活の話をしながらも、その時代の歴史や心の内を語っているものが多い。

この時代は、紀行文などもたくさん書かれていて、自伝的な要素が豊かにあり、スピリチュアルな側面が強く現れ出ているのです。