昔は、といってももうかなり昔の話で、高齢者は現役を退いても、長年培ってきた経験知によって、現役世代から尊敬され、いろいろ意見を求められ、自らその役割を果たし、共に社会を作ってきたといいますね。

長老とか大老というのは組織のトップのことを言い表し、指導者として敬う言葉であったし、だからこそ心理学の大家カール・ユングは、高齢者のことを老賢者と名付けたのでしょう。

けれども、現代は経験豊かな高齢者が尊敬され尊重された時代から、産業構造の変化で機械化、自動化、分業化、IT化などによって、効率性の向上を目指すために人が長年かけて培ってきた経験知よりも、誰もが訓練によってその方法さえ学べば使用できる技術知が重視される時代になってきました。

そうした社会では、老いは衰退でしかありません。それどころか、老いは厄介なものとしてしかとらえなくなり、老いによってひとりではできいないことが増えた高齢者たちは、一方的に保護されるしかなくなっています。

そういう時代であっても、僕は、再び老いの力老いの価値を呼び戻さなければならないと思っています。かといっても、日進月歩の技術、新らた知識を身につけるのは至難の業でしょう。 

老いの強み、高齢者の強みとはいったい何か?

熟練したウイットに基づく知恵、そして深い知識や年輪のなかにみられる智慧

著名な発達心理学者のエリク・エリクソンは、「知恵とは、身体的衰弱や知的機能の衰えにも拘わらず、統合された経験を維持し、ほかに伝える努力である。また後世への遺物を残すため、来たるべき世代の要求に応え、しかも同時に残すべきすべての知識が絶対のものでないことを自覚していることである。」と彼の著書〈洞察と責任〉の中で述べています。

高齢者が、自らの経験に基づく知恵智慧を創出するためにはどんなサポートが必要か? それを深く考え、その方法を究め、率先して実行していこうと思います。