作家五木寛之は、1932年(昭和7年)9月生まれなので、今年91歳ですね。生後間もなく朝鮮に渡り、1947年に本土に引き揚げていますが、この時お母さんを亡くされていますね。

日本が太平洋戦争に敗けた後、満洲や朝鮮に住んでいた人たちの苦労は並大抵のことではなかった。それらの出来事は、口述でも、或いは映像や書籍に数々遺されています。

五木寛之は、1967年に《蒼ざめた馬を見よ》で直木賞を受賞し、その後、名作《青春の門》で一躍その名を高めました。

そして、歳を重ねていくたびに数多くのエッセイを書いて、読者に生きる勇気を与えてくれていますね。

《孤独のすすめ》や《回想のすすめ》をはじめ、彼自身造詣の深い仏教に関連する事柄にもペンを取って出版しています。そんな中に《林住期》という本があるのですが、ここから少し抜粋してお話しましょう。

ところで、人の一生のなかで、いったい、どの時期がクライマックス(絶頂期)といえるのでしょうか。人生の黄金期とは、はたして何歳から何歳までくらいの時代の指すのでしょうか。

古代インドでは、〔四住期〕という考え方が生まれ、人々の間に広がったといいます。これは人生を4つの時期に区切って、それぞれの生き方を示唆するたいへん興味深い思想なのです。

すなわち、〔学生期(がくしょうき)〕、〔家住期(かじゅうき)〕、〔林住期(りんじゅうき)〕、遊行期(ゆうぎょうき)〕の4つですね。

〔学生期〕を〔青春〕、〔家住期〕を〔朱夏〕、〔林住期〕を〔白秋〕、〔遊行期〕を〔玄冬〕という四季の移り代わりに喩えるとわかりやすかもしれません。

元来、〔学生期〕と〔家住期〕を50歳までの人生の前半、〔林住期〕と〔遊行期〕を50歳から亡くなるまでの人生の後半と考え、特に〔林住期〕については、具体的に50歳~75歳としていますが、

ただ、現代に置き換えると、概ね〔学生期〕を0歳~25歳、〔家住期〕を25歳~65歳、〔林住期〕を65歳~80歳、〔遊行期〕を80歳から亡くなるまでと、私自身は考えています。

そして、人生のクライマックスはこの〔林住期〕にあるのだと五木寛之は喝破していますが、まったくそのとおりだと私も賛同しています。

これまでの人生での黄金期というのは、〔家住期〕の40年間がすべてのように考えられてきたのではないでしょうか。

〔家住期〕の中でも、55歳あたりから、人は自ずと自分の限界がみえてきますね。体力の衰えも感じるし、若い者からは旧世代扱いされる。家庭でも子どもたちが独立して家を離れていく。

功なり名を遂げた成功者たちは、ほとんどその年齢までには世に出てしまっていますしね。

ややもすれば、〔林住期〕は「人生のおまけ」のような扱いをされることが多い。だけどそうしないためには、何が必要なのでしょうか。また実際、それが可能なのでしょうか。

五木寛之はこう言います。

★★

ここには魔法の絨毯などはない。「発想を変えるだけで世界は変わる」などという提言もない。地味で慎ましい日常の努力の積み重ねが必要なのだ。

そして「人は努力しても必ずそれが報われるとは限らない」と覚悟することだろう。

寿命には天命ということがある。どんなに養生に努めても、天寿というものを変えることはできない。人生は矛盾に満ちている。不条理なことが無数にある。

すべてに対して愛を惜しみなく注いだ人が、なんともいえない不幸にみまわれることもある。

悪が栄えて、正義が敗れることもある。それを〔苦〕というのであって、〔苦〕とは、生きることは辛いことだという嘆きの悲鳴ではない。

〔苦〕の世界の中で〔歓び〕を求める。真の〔生き甲斐〕を探す。それを〔林住期〕の意味だと考える。そのための準備が大切なのだ。

★★

まったく同意見ですね。この〔林住期〕のお話をこれから、数回に分けて書き綴ります。

ー続くー