前回に引き続き、五木寛之が説く〔林住期〕のお話をしますね。
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人が本来すべきことは何か?
そもそも、この自分は、生きて何をなそうと心に願っていたのだろうか。
人の日常は、そういう自己への問いかけすらなく、時が過ぎていく。
自分が本当にやりたいと思うものは何か?以前からやりたいと密かに願っていたことは?
そういう問いかけは、追われながら、走り続けている日常からは、生まれてこない。
〔林住期〕に差し掛かった人間にできることのひとつは、そういった生活の足しにはならないようなことを、本気で問い返してみるということだ。
「本来の自分をみつめる」とはそういうことだろう。
そのためには、「居場所を変える」というのもひとつの方法だ。会社という居場所、家庭という居場所、人間関係という居場所、職業という居場所。
夫婦というのは難しい。だが、生涯、恋人同士というよりも、ほかに二つとない友情を育てていくことが好ましいのではないか。
よく男女間の友情は成立するか、などという青くさい議論が起こる。しかし、夫婦というのは、それが成立する希な場所であろう。
〔林住期〕に達した夫が、「しばらく家を出たい」と言い出すとする。二人の間に真の友情が成立していれば、妻はそれを反対しないだろう。
逆に、「妻が家を離れたい」と言い出す場合もある。むしろそちらのほうが多いかも知れない。
これまでと違った生き方を試みるための〔林住期〕は、普通に考えると〔人生の再出発〕といったイメージで捉えられがちだ。だが、それは違う。
〔林住期〕とは、過去を清算して出直すことでは断じてない。
敢えていうなら、〔ジャンプ〕である。これこそ、〔林住期〕に相応しいのではないか。
アスリートに例えれば、〔学生期〕に基礎体力をつくり、〔家住期〕に技術を磨き、経験を積み、試合に臨む。そしてその本番こそが〔林住期〕だ。
良き助走が、良きジャンプを生む。〔林住期〕は人生のやり直しでも、生活革命でも、再出発でもない。生まれてこのかた、すっとそのために助走してきたのである。
満を持してジャンプ!
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もっとも、ジャンプした後、着地が悪く足を挫くことがあります。黄金期であるはずの〔林住期〕もまた、これまで以上にいろんな出来事があるんだと、覚悟しなければなりませんね。
そして大切なことは、万一、挫いたとしても決して後悔しないことでしょうね。
ー続くー