〔後世への最大遺物〕というのは、明治時代の宗教家であり思想家の内村鑑三が、今から127年前、日清戦争が勃発していた1895年(明治27年)、33歳の時に箱根で講演した内容を取りまとめたものです。

「人は後世に何を遺すことができるか」

なかなか示唆に富んだ語りですね。口述自伝制作“ライフヒストリー良知”事業の推進に向け、顧客への〔後世の最大遺物〕の問いかけをミッションとし、その価値を事業の柱のひとつとして位置づけています。

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◆何を置いて逝くか? 何を置いて我々がこの愛する地球を去ろうか。そのことについて私が考えた、考えたばかりでなくたびたびやってみた、何かを遺したい希望があって、これを遺そうか、あれを遺そうかと。後世への遺物もたくさんあるだろう。けれども、このなかに第一番に我々の思考に浮かぶものから話したい。

◆金
後世へ我々が遺すものの中にまず第一番目に大切なものがある。それは〔金(かね)〕だ。我々が死ぬとき遺産金を社会に遺して逝く、己の子供に遺して逝くばかりでなく、社会に遺していくということだ。

私のように金を溜めることの下手なもの、あるいは溜めてともそれを使えない人は、後世の遺物に何を遺そうか。私はとうてい金持ちになる望みはない。ゆえにほとんど10年前にその考えをば捨ててしまった。

◆事業
それでもし、金を遺すことができないなら、何を遺そうかという実際問題がある。それで私が金よりもよい遺物は何であるかと考えて見ると、それは〔事業〕だ。

事業とは、すなわち金を使うこと。金は労力を代表するものであるから、労力を使ってこれを事業に変じ、事業を遺して逝くことができる。

◆思想
もし、私に金を溜めることができず、また社会は私の事業をすることを許さなければ、私はまだ一つ遺すものを持っています。何であるかというと、私の〔思想〕だ。

もしこの世の中において私が考えを実行することができなければ、私はこれを実行する精神と筆と墨とをもって紙の上に遺すことができる。

すなわち、私がこの世の中に生きているあいだに、事業をなすことができなければ、私は青年に薫陶して私の思想を若い人に注いで、そうしてその人をして私の事業をなさしめることができる。

もし、我々が事業を遺すことができなければ、我々に神様が言葉というものを下さり、また、我々人間に〔文学〕というものを下さったから、我々は文学をもって我々の考えを後世に遺して逝くことができる。

だが、文学者にもなれず学校の先生にもなれなかったならば、それなら私は後世に何も遺すことはできないかという問題が出てくる。何かほかに事業はないか、私もたびたびそれがために失望に陥ることがある。

◆最大遺物
しからば私には何も遺すものはない。〔事業家〕にもなれず、〔金を溜めること〕もできず、〔本を書くこと〕もできず、〔ものを教えること〕もできない。そうすれば私は無用の人間として、平凡の人間として消えてしまわなければならぬか。

しかれども、私はそれよりももっと大きい、今度は前の三つと違って、誰にも遺すことのできる〔最大遺物〕があると思う。

金も実に一つの遺物であるが、私はこれを最大遺物と名づけることはできない。事業も実に大遺物たるに相違ないが、私はいまだにこれを本当の最大遺物ということはできない。文学も、実に貴いものであって、わが思想を書いたものは実に後世への価値ある遺物と思うが、私がこれをもって最大遺物ということはできない。

◆高尚なる勇ましい生涯
それならば最大遺物とは何であるか。私が考えてみるに、人間が後世に遺すことのできる、そうしてこれは誰でも遺すことができるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。

それは何であるかならば『高尚なる勇ましい生涯である』と考える。これが本当の遺物ではないか。

しかして、『高尚なる勇ましい生涯』とは何であるか。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信じすることである。この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えを我々の生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということである。

この遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないかと思う。

この1年の後に我々がふたたび会うときは、我々は何か遺しおって、今年は後世のためにこれだけ金を溜めたというのも結構、今年は後世のためにこれだけの事業をなしたというのも結構、また私の思想を雑誌の一論文に書いて遺したというのも結構、

しかしそれよりもいっそう良いのは、後世のために私は弱いものを助けてやった、後世のためにこれだけ艱難に打って勝ってみた、また、後世のために私はこれだけの品性を修練してみた、後世のために私はこれだけ義侠心を実行してみた、後世のために私はこれだけの情実に勝ってみた。という話を持って再びここに集まりたい。

この心掛けをもって我々が毎年毎日進んだならば、我々の生涯はけっして50年や60年の生涯にはあらずして、実に水の辺りに植えたる樹のようなもので、だんだん芽を萌き枝を生じてゆくものであると思う。

我々に後世に遺すものは何もなくとも、我々に後世の人にこれぞという覚えられるべきものは何もなくとも、あの人は、この世の中に生きている間は真面目なる生涯を送った人であると、言われるだけのことを後世の人に遺したいと思う。