〈自伝の定義〉ということについてお話します。

私が知る限り、自伝についてもっとも明確な定義は、1979年に中川久定という著名なフランス文学者の講演録《自伝の文学ールソーとスタンダール》で紹介されている〈フィリップ・ルジュンヌの定義〉だと思っています。

中川久定に従って〈自伝の定義》を記すと次のようになります。
1.言語の形態
(1)物語
(2)散文
2.主題:一個人の生活、一人物の歴史
3.作者の状況:作者と話者とは同一人(作者の名前は実在の一人物に関連する)
4.話者の位置
(1)話者と主要人物とは同一人
(2)物語の懐古的展望

つまり自伝とは、作者と話し手(話者)と主要人物の三者が同一で、時間的順序に従って散文のかたちを取って描き出された〈一人物の歴史〉ということになるでしょうか。

〈ルジュンヌの定義〉によると、自伝は上記の、

Ⅰ.2の項によって、同時代の複数の人物を主要人物として登場させる〈回想録〉と区別され、

Ⅱ.4(1)の項によって、他人による一人物の歴史である〈伝記〉と区別され、

Ⅲ.3の項によって、主要人物に架空の名が与えられている〈自伝小説〉と区別され、

Ⅳ.1(2)の項によって、詩というかたちをとった〈自伝詩〉と区別され、

Ⅴ.4(2)の項によって、その日その日のことを書く〈日記〉と区別され、

Ⅵ.最後に1(1)、4(2)の項によって、自分の特徴を空間的に素描する〈自己素描〉や、自分についての考察を思いつくまま述べる〈エッセー〉とも区別される。

しかしながら、実際に自伝作品を読んでいくと、その定義があてはまるかどうか迷いますね。定義があって自ら自伝を書いたり、口述によってライフヒストリアンが書くのではなく、作品があって定義がそれを追いかけているにすぎないからです。

そのうえ自伝は、誰もが自由に制作することができ、その人の個性を表現するものであるから、〈ルジェンヌの定義〉は、たいへん卓抜としていると思うけれど、一応、領域を設定したものとして考えたほうがいいでしょう。

どちらかというと、ヨーロッパの人たちは定義というものに対して信仰のような姿勢を見せる場合が多く、その点、東洋人は定義をあいまいにしたままの学問に傾く心性があると感じています。

だからこそ、「東洋に自伝なし、自伝はヨーロッパ特有の文化的所産」という言葉が生まれたのかもしれませんね。