フランス文学者の中川久定氏が書いた「自伝の文学」という書物があって、ルソーとスタンダールの自伝の話が書かれています。
そのエピローグに「自伝とは何か?」と自ら問いかけていますね。中川さんは、
「自伝とは自分を問うジャンルである。それを答える時、自分とは過去にいったいなんであったのか。それは単に過ぎ去ってしまった過去を示すことではない。自分はこれから先、再びどうありたいかを選び取ることである。
つまり、過去の自分を描き出しながら、しかもその過去を自分の永遠の願望に従って意味付け、それを未来に差し出していくジャンルである」と言います。
中川さんは、かの有名なルソーの〈告白〉とスタンダールの自伝〈アンリ―・ブリュラールの生涯〉を例に、次のように評していますね。
「スタンダールの墓碑銘は『生きた、書いた、愛した』という言葉だが、これは過去として葬り去りたいのではなく、自分は今も、こういうふうに『生き、書き、愛したい』という永遠の願望を語りたいからである。
また、ルソーの〈告白〉に書かれているのは、様々な闇の場面に満ちていたものが、突如としてその闇が裂け、光が姿を表すとき、消え去った過去に対する哀切さに満ちた歓喜が、ページの中に表れてくるのだ」と。
「彼らが描きだした完全な幸福の体験を私たちが読むとき、それは私たちの内部に現在の体験として甦ってくる。この永遠の現在は、果たして彼らのものなのか、はたまた私たち自身のものなのか。
ルソーもスタンダールも、自分たちの魂がこういう形で不死になることを願っていた。そして、彼らの願いは、そのとおり叶えられたのである。そして今後もずっと叶え続けていくことだろう。〈告白〉と〈アンリ・プリューラルの生涯〉に心を動かされる《やさしい魂》(スタンダールの言葉)がこの世に存在し続ける限り。」と結んでいます。
これがヨーロッパの作家たちの自伝への思いですね。そうすると、東洋人が自伝を書き著すときの心情とかなり違うように思います。
きっと、歴史や宗教や文化の違いがそうさせたのでしょうね。