平凡社から発刊されている《日本人の自伝300選》という書籍があります。この本は、早稲田大学の名誉教授で、日本の近代史や思想史を専門とする著名な歴史学者である鹿野政直氏が編集しています。

1982年に出来上がってもので、江戸から明治、大正、昭和の時代に生きた著名な人物300人の自伝の概要が載せてあります。この中で鹿野さんは次のように述べていますね。

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私がこだわったのは、他人の筆に成る自伝(といういいかた自体、形式矛盾だが)が多いことである。近代日本の自伝中、最高の傑作と目される《福翁自伝》にしてからが、福沢諭吉が丹念に手をいれているにせよ、もともと口述のかたちでできあがった。

自伝の名告りまたそのように受け取られている作品に、この口述筆記という手法によるものはすこぶる多い。それがゆきつく先は、ゴーストライターによる“自伝”となる。自己の作品という点で、これは決定的に欠格条件になる要素を含んでいる。

しかし、ここでは、他人の筆に成るにせよ、本人の口調なり性格なりをしのばせる(往々にしてやや誇張してだしている)という点を考慮し、そのことにかかわりなく自伝として位置づけた。

しかし、本人が著名人であればあるほど、つまり書き手とのあいだに身分や地位の上下関係が想定されればされるほど、わたくしのこだわりは実は深い。

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よく理解できますね。これは私たちライフヒストリアンとしての大きな課題です。語り手が顧客である以上、その要望に答えていかなければならない。かといって顧客が語るその内容が明らかに偽りであったり、自慢話に終始するなら、自伝としての価値は半減どころか無になってしまいます。

顧客と対等の関係を構築すること、そこが優れたヒストリアンが否かの大きな分かれ目になっていくのです。