年齢を重ねるなかでも豊かな人生を送るためには、時々、過去を回想することだと確信しています。〈過去を回想する〉というより、〈過去を想像する〉というのが正しいかもしれませんね。

そのために、私たちライフヒストリアンは、顧客のみなさんの思い出話を共感しながら耳を傾けるのです。ここサイトでこれまで幾度となく話してきたように、ライフヒストリアンの果たすべき役割は大きく3つあります。

顧客の人生の物語を描くために、その方が生きてきた時代の歴史に対する深くて広い洞察力と知識を持つこと。つまり《知恵あるヒストライアン》として役割ですね。

次に、その方の脳の中に潜んでいる記憶を呼び起こし、懐かしい話を導くことによって、心の中をきれいに浄化して頂く《傾聴するセラピスト》としての役割があります。

そして、3つ目が、その方から傾聴した話をレコーダーに取り文字にする《わかりやすく文章が書けるライター》としての役割ですね。実はこれがもっとも重要なのです。何故なら、その文章は、家族や友人、子孫や後世に残されるものだからです。

これら文章について、〈ライフヒストリー良知〉で推し進めているのは、《聞き書き言葉》という文体ですね。これは、かつてジャーナリストの和多田進さんや小田豊二さんらが提唱していた、自伝を制作するときの際立った日本語表現技術なのです。

小田さんは、面白い例文を挙げています。松尾芭蕉の《奥の細道》を例にあげると、

原文は、
「月日は百代の過客にして、行かふ人も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を終の栖(すみか)とす」ですね。

これを口語体にすると、
「月日は二度と戻ることのない旅人であり、行きかう年もまた、同じである。船頭として舟に乗って一生を終える人も、馬子として馬とともに老いていく人も、彼らは毎日が旅であり、旅が住まいなのである」となります。

小田さんは、芭蕉がこのことを弟子に話したとしたら、どうなるかを問うています。

「いいか、唐の国の詩人李白が『光陰は百代の過客なり』と申しておるけどな。月日というのものは、二度と戻らない旅人のようなものじゃ。月日が旅人なら、歳月もまた同じ。

つまりだな、船頭として舟の上で一生を終える人も、また、街道で客を拾って馬に乗せ、馬といっしょに老いていく馬子も、毎日が旅をしているわけで、言い換えれば、旅が住まいのようなものだということじゃよ。わしはそう考えて、これから旅に出ようと思うがな。わしの気持ち、わかるかな。わからないだろうな。」

これが〈聴き書き言葉〉、おもしろいですよね。

語り手から聴いた話をどう書くか、ここに口述自伝制作〈ライフヒストリー良知〉真髄があります。私はこれまでにない日本語表現技術のひとつである〈聞き書き言葉〉を深く究めて、この事業を推進しているのです。