ライフヒストリアンは、「顧客の取り巻く歴史をよく知るヒストリアン」、「良き聴き手となり顧客の心を豊かにさせるセラピスト」、そして「わかりやすい文章で誰もが気持ちよく読めるライター」、この三位一体の役割を担っています。

特に、3番目の平易な言葉でわかりやすい文章を書いて、それを家族や知人、まだ見ぬ子孫や後世の人たちに喜んで読んで頂くための能力がたいへん重要になりますね。

この時、文章を生き生きさせるのは、興味深い顧客の生き様そのものだけど、それだけではありませんね。大切なのは書き出し。〈ライフヒストリー良知〉の場合なら生まれた時のことです。

人間は生まれた時代や場所、家庭環境などで幼い時期を左右されます。ときにはそれが生涯を決定することさえあります。自伝の書き出しとは、読み手に対する自己紹介のようなものだから、最初にこれらの事実に触れるのです。

生まれた時代や場所について、細かく書き綴れば、おのずとその方の考えや思いが浮かび上がってきますから。

例をあげると、

「大正12年1月25日の、その朝は雪が降っていた。当時、父は日本橋・小網町の錦糸問屋の通い番頭だった。

25日の当日、父は店を休み、浅草・聖天町の自宅の2階で、朝から酒を飲んでいた。店は休日だったのかも知れないし、大雪になったので出勤が面倒になり、酒を飲み始めたのかもしれない。どうも後者のようだ。(中略)

産婆さんが我が事のように喜んで、2階へ駆け上がり、『池波さん、男のお子さんですよ。早く、下へ来て、お顔を見てあげて下さい』大声で告げると、父は(中略)酒を飲みながら、こう言ったそうな。

『今日は寒いから、明日、見ます』

産婆さんは、『こんな父親、はじめて見た」と憤慨したそうだが、私は、こういう父が好きなのだ。というのも、やはり私には、父のこういうところがないでもないからである。」(池波正太郎《私が生まれた日》)

もうひとつ、

「私は1935年12月10日に青森県の北海岸の小駅で生まれた。しかし戸籍上では、翌36年の1月10日に生まれたことになっている。

この20日間のアリバイについて聞き糺すと、私の母は『お前は走っている汽車のなかで生まれたから、出生地があいまいのなのだ』と冗談めかして言うのだった。(中略)

だが、私が汽車の中で生まれたというのは本当ではなかった。(中略)

それでも、私は『走っている汽車の中で生まれた』という個人的な伝説にひどく執着するようになっていった。

自分がいかに一所不在の思想にとり憑かれているかについて語ったあとで、私は決まって、『何しろ、おれの故郷は汽車の中だからな』とつけ加えたものだった」(寺山修司《誰か故郷を想わざる》)

それぞれに興味を惹かれる書き出しですね。二人とも、事実このとおりであったかどうかは定かではない。けれど、核になるところは実際にあったのでしょう。

それに、文章を面白くさせるのは、カギカッコでくくられた会話体の文章です。父母から、或いは親戚からの聞き伝えをそのまま文章にしたようですが、会話を文章に取り込むことで、リアリティがあり、とても読みやすくなりますね。

私が現在、〈ライフヒストリー良知〉で推進している〈聞き書き言葉〉もそのひとつなのですよ。