歳を重ね、なんとなく厭世的になっていく人たちをよくみかけます。これまで数多くの高齢者と接してきた経験から言うと、その原因は大きくふたつあると思っています。
ひとつは人間不信。これまで必死に働いてきたのに、家族を守ってきたのに、歳をとったから邪慳(じゃけん)にされる、定年になったとたん誰も見向きもしてくれない。
一方で、自分はどうなのかと我が身を振り返ると、自分が嫌になる、鏡を見るとそこには老いた姿が映っている。あちこち具合が悪くて体が思うように動かないし、前向きな気持ちになかなかなれない。もしかしたら家族のお荷物になっているのではないか、と疑う。
この〈人間不信〉と〈自己嫌悪〉は、人間が明るく生きていく上で、絶対に大きな障害になりますね。これをどんなふうにして手放すのか?
それを回想の力によって乗り越えていくのです。
ささやかな人ひとりの営みやこれまでの生きざまは、何ともいえない味わいがあります。そんなじわーっとした思いによって、〈人間不信〉や〈自己嫌悪〉は癒されていくのです。
気が滅入ったときは、ぜひ〈記憶のひきだし〉を開けてみてください。そこから思い出を引っ張りだしてください。それを続けていくと、最後にはきっと「人間とは愛すべきものだ」という暖かい気持ちが蘇ってきますよ。
どんな名言よりも、生活してきた中での些細な自分の記憶のほうがいい。必ず自分を癒してくれますから。