前回に続き、弘兼憲史の描いた漫画の世界についてお話します。

彼の名を世に知らしめたのは『課長 島耕作』が連載されてからですね。この漫画は1983年に始まったそうです。

主人公は、弘兼さんと同じ、1947年に山口県岩国市で生まれた団塊世代という設定ですね。耕作の勤務先が〈初芝電器産業〉で、その職場での人間関係や仕事上のトラブルを乗り越え活躍するという内容。

昭和から平成に移り変わる時代の波に揉まれ、電機産業の発展とグローバル化、バブル崩壊後の業界再編をくぐり抜け、その間、耕作は部長・取締役・常務・専務と昇進を続ける。

2008年には『社長 島耕作』が連載され、そして現在、島耕作は会長職にあります。

弘兼さんは早稲田大学の在学中、漫画研究会に所属し、松下電器産業(現パナソニック)に就職した。「やっぱり漫画を描きたい」と3年で退職したそうです。

サラリーマン経験を生かした作品は、多くの会社員の心を捉えたましたね。「昭和は戦後の復興を経て、右肩上がりの時代。平成はバブルとその崩壊。さらにIT革命があり、変革の時代が様々な人生を変えてきた」と彼は振り返っています。

シリーズには、数年前に描いた『学生 島耕作』もあり、入社前の大学時代まで遡っていますね。学園紛争が吹き荒れた1960年代の学生生活について、若い世代に質問される機会が増えたことがきっかけといいます。

彼はこの作品を、「僕の自分史みたいなもの。仕事なので半分以上は作り話だけど」と打ち明けていますね。ダンスパーティーや学生運動などのエピソードを盛り込んだり、1966年の早大入学式が、学生運動とストライキの影響で5月1日だったこともネタにしたりしているけれど、当事者なのに覚えていなかった。

「漫画を描くために調べていると、自分の記憶の曖昧さに気付くことがある。いろんなことが発見できるのは面白い」とか。

弘兼さんは自分史作りの効果について、「育った場所に行ってみたり、小学校を訪ねたりして調べものをすれば、結構忙しい。体を動かし、頭を使うので、悪いことは一つもない」と話す。

エッセーや講演では、同じ団塊世代に向けて、「自分の経験を伝えることがその人の歴史を作ることだ」と説いていますね。

「人生は千差万別で、人間だれでも一つは面白い話がある。作家になった気分で、自分をテーマにした小説を書くと思うのもいい。それが自分史です」と喝破しています。

弘兼憲史のこの考えが、ライフヒストリアンの私に相通じるところなのですよ。