小学校の頃、夏休みの宿題に〈朝顔の観察〉というものを出され、夏の朝、頑張って観察し日記を付けていた記憶があります。

朝顔を何粒か蒔いた種が芽を出して双葉となります。ここまでは、5本や6本の朝顔に何ら変化はない。でも、この後の成長に変化が起きる。

葉だけが大きくなって一向に伸びないやつとか、葉は小さいのにひょろひょろ伸びるやつ、傾いたり、葉がしぼんだり、いろいろ出てきます。

そのとき、子ども心に慌てふためき、種の種類が違っていたのか、水の配分が間違っていたのか、それとも日当たりの問題なのか、いろいろ考えます。

朝顔がつるを伸ばし始めると、支柱の竹を選んできて、巻き付き具合を見て絵と文で記録する。毎朝目が離せない。そんななかにも、これからどんな花が咲くのかと期待が膨らんだりしましたね。

人一人の〈自伝〉を制作する際、この朝顔の観察を日記にまとめることと何かよく似ているなァと感じることがあります。

植木鉢の1本を眺めていると、それはまっすぐに成長し、特定の花を咲かして、種を作り、秋には枯れてしまうが、数本だとそうはいかない。 右にいくやつ、左にいくやつ、見事に成長するやつ、痩せていくやつなど様々な姿を見せてくれます。

一時は成長が止まったかと見せかけて、急に伸びるものなんかもあって、そこに豊かな個性を感じますね。 小学生ながらに、朝顔の種の1粒1粒でも違った生き方をしていくもんだと考え、そして、その1本に焦点をあてながら、〈朝顔日記〉の文章を綴っていくのです。

つまり、〈自伝〉を描く上で、周りの環境や人たちに十分に配慮しながら、対象となる個人に集中して、記録しなければならないということと同じではないか。

〈自伝〉のなかで、親、兄弟姉妹、親戚、友人、恩師、同僚、取引先など書くべき人々はたいへん多い。その際、仲違いした、争った、亀裂が生まれた人たちに関して、私は、敢えて記述すべきではないと思っています。

一方で、仲が良かった、助け合った、共感した人たちのことは大いに書くべきですね。この場合は、多少誇張があってもかまわない。却って、〈自伝〉の主人公の人柄に厚みが生まれ、ユーモラスな読書感さえ与えることになりますから。 人生の道程では、いろいろな人間関係が生まれ現れてきます。その中に、自分にいい影響を与えてくれた人をピックアップして描くことが大切ですね。

その思いを顧客に伝え、〈自伝〉として作り上げるのが、私たちライフヒストリアンの使命なのです。これはまた〈口述自伝〉の基調でもあるのです。

小学生の〈朝顔日記〉は、決して朝顔が萎(しな)びるまで書かず、つぼみが膨らんで、大輪の花が咲いたところか、その寸前で終わっています。 〈自伝〉もまた、それでいいのだろうと思いますね。

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