自伝文化
昔から、「東洋に自伝なし、自伝はヨーロッパ特有の文化的所産」と言われてきました。
確かにヨーロッパ、或いはアメリカでは、名もない普通の人が〈自伝〉を書いたり、口述によって〈自伝〉を書いてもらったりするのが一般的です。彼らは、まさしく〈自伝文化〉を持つ民族性を有していると言えるでしょう。
アンナ・R・バーというアメリカの自伝研究家がいて、彼女は〈自伝を書く動機・理由〉を4種類に分類しています。
1.自己研究(自らのライフヒストリーの確認・研究)のため
2.子孫や後裔のため
3.宗教的な証言として
4.過去を思い出し、それを楽しむため
西洋と東洋の大きな違いは、このなかの〈宗教的証言として自伝を書く〉ということがあるでしょうね。自分の生き様を神に告白するということ。ローマ帝国時代のキリスト教の神学者アウグスチヌスの作品(題名は“告白”)や、フランスの哲学者ルソーの作品(これも題名は同じく“告白”)は、その代表的な〈自伝〉です。
日本でも、これまで数多くの著名人の〈自伝〉が書かれてきました。しかしながら、それが日本の文化になっていない。また〈自伝論〉というものもあまりないですね。
儒教や仏教、神道には、自分の過去を振り返り、その生き様を顧みて、それを神や仏に対しあからさまに語り、そして、それらを後世に残すという考え方や発想がそもそもない。
では、〈自伝を残すことを日本の文化〉できるでしょうか?
〈自伝〉を残すことの意味や意義について語る人がいて、人々がそのことを理解・納得し、その人の人生を共感して聞く人の存在があり、ITやAI技術を駆使して、制作コストを大幅に下げることができるなら、〈自伝〉はこれから〈日本の文化〉になっていく可能性は、時間はかかるけれど、大いにあると思いますね。
共に、〈自伝文化〉を定着させましょう。
https://life-history.jp/