昨年4月に亡くなられたジャーナリストでノンフィクション作家である立花隆さんは、生前「自分史倶楽部」というサークルを立ち上げて、主に60~70歳代の自伝や自分史を書こうとする人たちに、自分史のいろはから文章の書き方に至るまで、丁寧に指導していましたね。

かつて立花さんが執筆したテーマは、政治や経済問題のみならず、環境や医療のこと、哲学や宇宙に至るまで実に幅広い。有名なのは「田中角栄研究」ですね。

立花さんは、次のように言っていました。

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「自分の人生が何だったかを知りたければ、まず自分史を書きなさい。」と言っている。自分史を書きながら、自分の人生の様々な岐路になった場面を思い起こす。そして、その前後の状況を思い出しつつ、ああでもない、こうでもないと記憶を呼び覚まして、その前後のあれやこれやの記憶を反芻していみる。

あのときの、人生の岐路に立って下した自分の決断、判断は正しかったのか。或いはあのときの自分の行動・言動などが違うものになっていたら、別の人生が展開する可能性があったのか。そのほうが良かったのか。それとも、よくよく考えれば、すべてはほとんど必然的に起こるべくして起きたことだったのか、

などと考えを巡らして、後悔の念でほぞを噛んだり、自分の人生に妙に納得したりする。そのように思いを巡らすことこそが、自分の人生は何だったかを考えるそのものになるわけだ。

先回りして言っておけば、こういう問いに対して、堂々めぐりの記憶の反芻をいくら続けても「自分の人生はこれで良かったのか」という問いに対する、正しい答えには決してならないだろう。

いずれにしても、歴史的時間の中でリアルに起きたことだけが、起きたことであり、それは今さら変えられないことなのだから、自分の人生がこれで良かったどうかは、「言うてせんなきこと(言っても報われることなく無駄である〉」に属すると言えるだろう。

しかし、人生を振り返るというのは、結局のところ、「考えてもせんなきこと」を考えることであり、「言うてせんなきこと」を心の中で呟いてみるという行為である。

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還暦を過ぎたら、みなさん、おそらく多かれ少なかれ、どこかしら「考えてもせんなきこと」を考え、「言うてせんなきこと」を呟く、そうせずにはいられない気持ちが湧き上がってくるのでしょう。このことは、これまで数多くの老年の人たちから話を聴く中で確信できますね。