古来、数多くの有名・無名の〈自伝〉が書き遺されています。できる限りそのような〈自伝〉を読むようにしているのですが、なにしろ数があまりにも多い。いい作品を選びながら進めるようにしています。
アメリカの政治家で、雷が電気であることを証明し羅針盤を発明したことで有名なベンジャミン・フランクリン。その著書〈フランクリン自伝〉の中で、
「私は、この幸運な生涯を振り返ってみて、特に次のようなことが言いたくなる。『もしもお前の好きなようにしてもよいと言われたならば、私は今までの生涯を初めからそのまま繰り返すことに、少しも異存はない。ただし、著述家が初版の間違いを再版で訂正するあの便宜だけは与えてほしいが』
ところが、こうした繰り返しはできぬ相談だから、その次にひとつの生涯を生き直すのに、もっとも近いことはと言えば、生涯を振り返り、そして思い出したことを筆にして、できるだけ永久のものにすることではないかと思う。」
ベンジャミン・フランクリンは、成功者ならではの自信に満ちた言葉を発しています。「同じ人生をもう一度繰り返したい」と言う人がどれほどいるでしょうか。僕なんかは、繰り返すにも訂正だらけで、ゲラは真っ赤になってしまいそうです。
だけど、〈自伝〉が人生の再確認であることは間違いないですね。もう一度人生を生きるというのは至言でしょう。
「人は死の瞬間、自身の過去を走馬灯のように振り返る」とは、よく言われることです。しかし実際、走馬灯に映し出された映像を自分の戒めにする余裕も、他人に伝える術もありませんが、その前に〈自伝〉にして書き遺しておくことは可能ですね。
よく、「人生は筋書きのないドラマ」と言われます。
ドラマのクライマックスを前にして、始まりからここまでの何幕かを振り返り、「あそこはワクワクした」「あの場面は面白かった」「あの時もう少し頑張っていればなぁ」とかいろいろ反芻する。
〈自伝〉の役割とは、まさに「筋書きのないドラマの台本をあとで書く」ということですね。ベンジャミン・フランクリンのいう〈生涯を生き直す〉ということは、そう言い換えてもいいのかなと思っています。