ごく普通の人々の口述自伝を制作するために必要とされる専門分野の知識として、心理学やカウンセリングがあります。私たちライフヒストリアンのとって不可欠の学問ですね。

ところで、歳を重ねて、なんとなく厭世的になって生きているのが辛いなぁと思っている人は決して少なくありませんね。

その原因として、ひとつは〈人間不信〉というのがあるでしょう。例えば、必死になって働いて家族を守ってきたのに、高齢になったとたん邪慳にされたり、定年になって誰も見向きもしてくれなかったり。

「俺を嫌っているのか!」そんな被害妄想的な思いにとらわれることがありますね。

一方で、自分はどうなのかと我が身を振り返ると、今度は自分が嫌になる。鏡を見ると老いた姿が映っている。あちこち具合が悪くて身体が思うように動かないし、前向きな気持ちになれない。「家族のお荷物になっているのではないか」と不安になったり。

この〈人間不信〉と〈自己嫌悪〉は、人が明るく生きていく上で大きな障害になりますね。それをどのように手放すのか?

私は、〈回想する力〉によって乗り越えられると考えています。

「この世はお金と欲望と権力の集合体だということはわかっている。だけども、これまで生きてきたささやかな営みや姿にはそれなりの味わいがあった。

それを思い起こすことによって、何かじわっとしたものが蘇って来る。〈人間不信〉と〈自己嫌悪〉という病が癒される感じがする」のです。

気分が滅入ったときは、たくさんある記憶の引出しを開けて、思い出を引っ張り出しましょう。そうやって回想し咀嚼しているうちに、立ち直っていく自分がいることを発見し、暖かい気持ちがあふれてきますよ。

人間生きていると、苦しかったことや辛かったこと、悲しかったことが山のようにわき出てきますね。そんな時は、なんとも言えないばかばかしい話が逆に力になることがあります。

偉い人の名言より、賢い人の格言より、生活の中でのどうでもいいような些細な記憶のほうが、意外と自分を癒してくれるのです。

歳を重ねれば重ねるほど、生きたその分、思い出の数は増えていく。これは、言うなれば、頭の中に無限の宝の山を抱えているのようなものでしょう。

そうした日常生活の中でのちょっとした出会いであったとか、小さな体験の数々を記憶のノートにしっかり記しておく。

そしてときどき引出して発掘するのは、人生の山を下りていく時期を豊かにするための、きっとより良き処方箋になりますよ。

そのために、回想する力をしっかり育てていってほしいと願っているのです。