顧客のライフヒストリーをインタビューし文章化したものは、『聞き書き言葉』というコンセプトで綴っていきます。顧客が語った表現や口調、言い回しや方言、息づかいなどをありのまま言葉にして遺していきます。

1.当社の顧客の聞き書き言葉

【よく頑張ってきたわ】
子育て
田舎わね。近所付き合いをしないとダメなの、“みちぶしん”と言ってね。子供をおぶっていくわけですよ。そうすると「お前とこのオヤジは何をしている。」とみんなの前で言われてね。「すみません、今仕事してまして」と言うと、「見てみろ、みんなこうやって人が出て来てるだろう」って。「お前とこは子供おぶって何をやるんだ」なんて言われてね。どうにもならないでしょう。負けてはならないから。「すみません、私今両手を空いてますから何でもやりますよ。」って。いじめられたこともたくさんあったわ。でも中には助けてくれる人もいてね。だから私自身はけっこう自立していた。生きていかなくっちゃね。

*埼玉県に住む自動車関連会社を経営する60歳代の女性社長の半生を聞き書きしました。

【あの戦争が人生を変えた】
シベリア体験
みんなあんまり知らんと思うけどな、シベリアには虎と狼がおって襲われて死んだもんもおったわ。怖かったてか?そりゃ怖いわな。
「ような、なんであんたはいつもニコニコしてるんや」と聞かれるんやけど、それはな、シベリアで俺は怒ったり反抗したりすることを止めたからや。ソ連兵にはむかったもんもぎょうさんいたけど、みんな殺されてしもたしな。じっとしてたらええんやと。いつも笑っていよってな。
そのおかげでな、この歳まで、まあまあ生きてこられたんや。そやけどシベリアにいるときのことを思い出したら泣けてくるわ。

*7年間シベリアに抑留された滋賀県在住の90歳代前半の高齢者に聞き書きしました。

【我が韓国留学時代】
語学研究所で

在日韓国人は、なかなかいい就職ができひんと聞かされとった。そやさかいに、資格を取って、医者になろうと思ったけど、日本では医学部は学費が高いのでな。韓国の大学の医学部は、その時、学費がめちゃめちゃ安かったんで。もし、入学できたら、ばりばり勉強して、韓国で国家資格を取って、日本でも国家資格受けて、医者になろうと。親も、それやったら、学費だしたると言うから・・・・・。
1974年に、韓国語をいちから覚えるため、ソウルの郊外にある在外国民語学研究所というところに入学したんや。そこは、日本のいろんなところから、俺らと同じ境遇のな在日の2世や3世たちが来たわ。いろんや奴らがおったな。勉強ようできるやつ、めちゃくちゃおもろいやつ、真面目なやつ、女も絶世の美人がおったな。

*1970年代に韓国に留学した大阪市に住む60歳代の医師に聞き書きしました。

2.歴史の偉人や有名人たちが遺した聞き書き言葉

【福翁自伝≪福沢諭吉の自伝≫(現代語訳)齋藤孝=編訳】
また私の十二、三歳のころだったと思う。
兄が紙をそろえているところを、私がドタバタ踏んで通ったところを、兄が大声で「コリァ待て」とひどく叱り付けて「お前は目が見えぬか。これを見なさい。何と書いてある。『奥平大善大夫(おくだいらだいぜんのたいふ)』という名前が書いてあるではないか」と大層な剣幕だ。
「アアさようでございましたか、知りませんでした」と言うと「知らんと言っても眼があれば見えるはずだ。お名前を足で踏むとはどういう心得だ。臣士の道というものは・・・」と、何か難しいことを並べて厳しく叱るから謝らないわけにはいかない。
「私が悪うございましたから堪忍して下さい」とお辞儀して謝ったけれども、心の中では謝りも何もしない。「殿様の頭でも踏んだわけでもないだろう。名前を書いてある紙を踏んだからって構うことはなさそうなものだ」とたいへん不平でした。

*福沢諭吉が語る言葉を、当時時事新報記者であった矢野由次郎が筆記し、福沢自身が推敲加筆したものです。

【氷川清話≪勝海舟の自伝≫】
人間の相場の上がり下がり
おれなどは生来(うまれつき)人がわるいから、ちゃんと世間の相場を踏んでいるよ。上がったり相場も、いつかさがるときがあるし、下がった相場も、いつか上がるときがあるものさ。その上がり下がりの時間も、長くて十年はかからないよ。それだから、自分の相場が下落したとみたら、じっとかがんでおれば、しばらくすると、また上がってくるものだ。大奸物(だいかんぶつ)・大逆人の勝麟太郎も、今では伯爵勝安芳様だからのう。
しかし、今はこのとおりいばっていても、また、しばらくすると老いぼれてしまって、つばの一つもはきかけてくれる人もないようになるだろうよ。世間の相場は、まあこんなものさ。その上がり下がり十年間の辛抱ができる人は、すなわち大豪傑だ。おれなども現にその一人だよ。
おれはずるいやつだろう。横着だろう。しかしそう急いても仕方ないから、寝ころんで待つが第一さ。西洋人などの辛抱強くて気の長いのには感心するよ。

*勝海舟の談話を、国民新聞の人見一太郎と阿部充家、東京朝日の池辺三山、東京毎日の島田三郎が聞き書きをして新聞に掲載されました。

【三戸サツヱ≪サルたちの遺言≫構成・聞き書き小田豊二≫】
はい、これで私の話は、おしまい。
そうですね、私は、人生のことはサルから学びましたよ。
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ちょっと疲れました。
ああ、そうですか、今日、東京へお帰りですか。いつでも来て下さいね。この「かあさんの家」で待ってます。
水無子?!!ああ、さっきから、そこにおったか。ハハハハハ・・・・。後ろにおったらわからんわ。この人、帰るって。玄関まで送っていってあげなさい。
はいはい、こちらこそお世話になりました。
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そう、帰るか。
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また、来てねえ。ここにおるからね。・

*他の人を登場させることによって聞き書きを立体的にしたものです。