あいまいな表現
生まれてからずっと日本語を使っていると、日本語はいかに〈あいまいな表現〉が多いか、気づかされます。
他の言語はどうでしょう。僕は高校を卒業して韓国に留学し、現地で大学に通いながら言葉を学んだ経験から言うと、韓国語も時には〈あいまいな表現〉を使うことがあります。だけど日本語に比べたら格段に少ないですね。
四方が海に囲まれ単一民族の国、日本。これまで日本語は他の民族とのコミュニケーションがあまりないままに育まれた言葉であるため、〈あうんの呼吸〉や〈ツー・カー〉で聞き手に伝わってきたこともあるでしょう。〈あいまいさ〉というのがひとつの言語文化ですね。
例えば、私たちがもっともよく使う言葉のひとつに〈すみません〉があります。この〈すみません〉は外国人が最初に覚える日本語の代表。〈すみません〉は、謝罪するときに使うし、感謝するときにも使いますね。この一言でものごとを済ましてしまうことも多い。
また、〈けっこう〉という言葉は、イエスにもノーという意味にもとれるから、どっちがどっちかわからず迷ってしまう。〈適当〉という言葉もそうですね。適切でもありいい加減でもあり。最近では〈やばい〉という表現。まずかったりすごかったり。
一方、〈書きことば〉は、このような〈あいまいな表現〉をできる限り排除するようにしますね。〈話しことば〉と違って〈書きことば〉というのは情報をできるだけ正確に、不特定の人たちに伝えることを目的にしているので当然なのですが。
〈聞き書きによる口述自伝〉を制作する上で、語り手の〈話しことば〉の中にたくさん出てくる〈あいまいな表現〉を消していくことがとても大切な仕事になります。
その際、〈話しことば〉でも〈書きことば〉でもない中間体の言葉、私たちはこれを〈聞き書きことば〉と呼んでいますが、を多用していきます。
この〈聞き書きことば〉については、後日詳しく説明しますが、これを世の中に広く普及させていきたいと思っているのです。
https://life-history.jp/