顧客の〈ライフヒストリー〉を、その顧客の家族や友人・知人に見せたり、また後世に遺すために、顧客の語った言葉を丁寧に聴き取って録音し、出来る限りその方の口調や言い回しを大切しながら、しっかり文章にし上げていく。

この時「〈名文〉だ、〈名表現〉だ」と言われたい。けれども、聴いた言葉からそのまま写し出せば、決して〈名文〉や〈名表現〉にはならない。文章は、目をつむってさえいれば、誰にでも突然、〈名文〉や〈名表現〉が浮かんでくるような仕掛けにはなっていないから。

顧客から聴いた言葉を〈名文〉や〈名表現〉に替えるには、私たちライフヒストリアンが日頃から意識して、その訓練や学習をしているかにかかっています。かとって、長時間に亘り、真剣に考え訓練した結果が、必ずしも表に出てくるものでもない。だけど、何もしない人間に突然、〈名文〉や〈名表現〉が湧き出ることは絶対にない。

かつて自伝研究家の佐伯彰一が言ったように、時間が許す限り、〈名文〉や〈名表現〉で綴られた作品を読み続ける事なのです。そこから学び取るしか方法はないのです。

口述自伝の中から〈名文〉や〈名表現〉が飛び出す土壌を育てていく。もっと言えば、ライフヒストリアンの中にあるその潜在知識を豊かにしていく。そんな基礎的な能力や体力をつけておけば、重大な局面を迎えたときに、その知識から、やがて思いもよらぬ〈名表現〉が生まれ育ち、〈名文〉と言う花を咲かせることになるでしょう。

「西洋に自伝あり」、これと同じく、「日本に自伝あり、それは日本の文化である」と言われるためにも、自伝を〈名表現〉や〈名文〉で書き著すことはとても大切なことだと思っています。