語り手である顧客が自伝を制作する際、幼い時代から学生期、青年期、壮年期の頃を思い出して、言葉に発したものをライフヒストリアンが書き留めていきます。
細部のことは別に置いて、その時何があったか、どんなことをやり、どう考え感じたかを記憶の糸を辿ってとたんたんと語って頂く。
話したり書いたりしていくうちに新たに思い出すこともあるでしょう。疑問に感じたら写真や見たり、日記や日誌、資料などがあればそれを取り出したり、また人に聞いたりしてまた語り始める。当初とは異なった進み方になることもあるけれど、そこは臨機応変に対処していきます。
小説などは〈書き出し〉がとても大切だと言われますね。〈書き出し〉が全てだと言っても言い過ぎではない。
だけどノンフィクションである自伝の場合、〈書き出し〉の良さによってそれを読む人を惹きつけることはもちろん大事ですが、より大切なのは自伝の主人公の生き様ですね。その心情が良ければ、読む方にはそれなりの共感が得られますから。
とにかく、思い悩まず語り始め、ライフヒストリアンがそれを素直に書き出すことに尽きますね。
〈日本人の自伝〉(平凡社)という本がありますが、その中から幾つかの〈書き出し〉の事例をピックアップします。
「故郷というものは、50年が行き止まりだと、かねがね私は思っていたのに、私が次兄に伴われて故郷を離れてから、今年でもう71年になる。」〔柳田国男《故郷70年》〕
「私の記憶は私が4歳頃のことまで遡ることができる。その頃私は、私の生みの親たちと一緒に横浜の寿町に住んで居た。」〔金子ふみ子《何が私をこうさせた》〕
「私は明治39年(1906年)、浜松市の在、静岡県磐田郡光明村(現在の天龍市)で生まれた。父儀平は鍛冶屋、私はその長男で、いわばふいごとトンテンカンの鎚の音とともに育ったわけである。」〔本田宗一郎《夢を力に》〕
「なんの用があって、この世に僕が生をうけたのか、よく考えてみると、いまだによくわからない。おなじ途次の、同じようなみちづれとかかわりあいのあいだに、じぶんのゆくみちが決り、人はそれを使命とおもいこむ。」〔金子光晴《詩人 金子光晴自伝》〕
「私はべらんめえ口調でぽんぽんとしゃべる。だから、江戸っ子と間違えられることが多い。だが、生まれたのは岐阜県式儀郡関町(現在の岐阜県関市)である。『関の孫八』で名高い刃物の町で、1929年(昭和4年〕5月10日に産声をあげた」〔椎名武雄(元日本IBM社長)《外資と生きる》〕
概ねさらりと書き出しています。自伝の著者の多くは、プロのもの書きではないですから、当然と言えば当然ですが。
たくさんの自伝の冒頭の文章を読んでみると、〈書き出し〉は幾つかの典型にまとめられます。短い文章で始まるもの、出生の日時と場所、両親、生まれ育った故郷の記憶など、そのようなものが多いですね。