記憶というものが脳の中でどんな働きをしているのか、近年、脳の機能を解明する機器類の技術開発などによって、少しずつ明らかになってきましたね。

17世紀、フランスの哲学者でルネ・デカルトという人がいました。「我思う。ゆえに我あり」という、たいへん有名な言葉を遺しています。

簡単に言うと「世の中のすべてのものの存在を疑ったとしても、疑っている自分自身の存在だけは疑うことができない」という意味です。

デカルトは、「心は身体から分離している」というこれも有名な〈心身二元論〉を主張したけれど、科学の世界では今、この〈心身二元論〉は誤りだというのが常識になっていますね。現代の科学者は「心や身体のすべての活動は、私たちの脳から生じている」と言います。

アメリカの著名な脳神経学者のアントニオ・R・ダマシオは、「我思う。ゆえに我あり」を「我あり。ゆえに我思う」と言い換えた方が正解だと述べていますが、これをどう解釈すべきか? 哲学は実に難しいですね。

ダマシオは、「私たちは、単に考えるから私なのではなく、考えてきたことを思い出すことができるからこそ、私なのだ」と喝破するのです。

「自分が思うこと、話す言葉やその振る舞い、実際に私たちの自意識や他人とのつながりは、すべて脳が私たちの経験を記憶し、保存するという能力に依存しているのだ」と。

また、「記憶とは、私たちの精神生活を結びつける糊のようなものであり、個人史を保存するもの、さらに生涯を通じて成長するものであり、変化することを可能にする足場だ」と論じていますね。

アルツハイマー病のように、記憶が失われると、私たちは過去を再現する能力を失い、自分自身や他者とのつながりを失ってしまいます。これまで僕は、そんな人たちを数多く見てきました。

今、〈記憶の研究〉にはふたつの潮流があると言います。

ひとつは、脳のニューロン(神経細胞)同士が、相互にシグナルを送ることを明らかにする生物学的な研究であり、もうひとつは、認知に関する心理学的な研究

つまり、記憶とは単一のものではなく、人間の脳と心理の相互作用なのです。

そして、これら長年の〈記憶の研究の進化〉によって、脳に記銘されているその人のライフヒストリーの記憶を引き出すことが、記憶の劣化を防ぐもっとも効果的な方法のひとつであると、証明できるようになってきましたね。