《アウグスティヌスの記憶》

同じ歴史上の出来事であっても、国ごとに解釈が違います。それは、それぞれの国によってその立場が違うからですね。立場が違えば、当然、その視点も違ってきます。

そう考えると、それぞれの国の人たちとの間で、いわゆる〈記憶のすれ違い〉のようなものが起こるのも理解できます。関心の違い、態度の違い、利害の違い、体験の違いなども、視点の違いをもたらし、〈記憶のすれ違い〉を生んでいく。

前回書いたように、ほとんどの人は「記憶とは過去の記録だ」と思い込んでいます。私も昔は普通にそう思っていました。

しかし、今から1600年前、アウグスティヌスという有名な神学者は、「記憶は今現在と深く関係している」ということを見抜いていました。

アウグスティヌスは、次のように言っています。「未来とか過去といったものは存在しない。あるのは、過去についての現在、現在についての現在、未来についての現在である。そして、過去についての現在が〈記憶〉だ」と。

思い出される過去には、思い出す現在の視点が色濃く反映されている。ゆえに、今ここで思い出される〈記憶〉には、今の考え方や価値観、心理状態や欲望などが強く関係している。

さらにアウグスティヌスは言います。「過去の自分の悲しい出来事を、今、穏やかな気持ちで思い出す場合、心は穏やかで記憶は悲しいというのは、いったいどういうことなのだろうか。

悲しみを記憶しているはずなのに、なぜ悲しくないのか。きっと心は胃のようなもの、嬉しい出来事や悲しい出来事は甘い食べ物や苦い食べ物のようなものなのだろう。

出来事が起こった時点では、甘さや苦さが味わうことができるけれども、〈記憶〉になると胃の中に送り込まれたようなもので、味わうことはない。

〈思い出す〉というのは、いったん胃の中に入り砕かれ消化した食べ物が、再び取り出されるようなもので、その時の舌で味わうことになる。

つまり、想起することによって、〈記憶〉から取り出されるとき、その出来事は、かつての心ではなく現在の心で味わうのだ。だから、悲しくて仕方なかった昔の出来事も、そのことが自分を鍛えてくれた懐かしい出来事のように思い出されるのである。」

つまり、〈記憶〉というのは、出来事が起こったときのままに引き出されるのではなく、思い出すときにつくり直されるものなのですね。

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24森本 聡、小林弘運、他22人コメント2件いいね!コメントするシェア