引き続き、心理学者・岸見一郎さんの《老いる勇気》から。岸見さんは病床でドイツ語を学ぶお母様のエピソードが語られています。

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老いてから何かを学ぶ楽しさや喜びについては、母が身をもって教えてくれた。

母は脳梗塞で倒れ入院してから3ヵ月、49歳で亡くなったが、入院している間は学ぶことに対していつも前向きだった。

病床の母はまず、「ドイツ語のテキストを病院に持ってきてほしい」と言ってきた。私は一時期、母にドイツ語を教えていたことがあり、そのとき使ったテキストで勉強し直したいと。

母は初歩文法を終えた後、テオドール・シュトルムの小説《みずうみ》をドイツ語の原書で読めるくらいの力をつけていた。

病院では「アー・ベー・ツェー・デー」から復習を始め、毎日少しずつ勉強を続けた。その後、母の意識レベルは少しずつ低下し、ドイツ語の勉強を続けることが難しくなってきた。

すると母は、今度は本を読んでほしいという。リクエストは、ドストエフスキーの《カラマーゾフの兄弟》。私が高校時代の夏休みに、夢中になって読んでいたことを母は覚えていて、いつか自分でも読んでみたいと思っていたのだ。

結局、《カラマーゾフの兄弟》を最後まで読み通すことはできなかったが、このとき私は、母から三つのことを教わった。

まず、たとえ目標を達成できなくても、学ぶことそれ自体が喜びであるということ。

次に、病気で身体を動かせない状態であっても、人は自由に生きられるということ。

そして第三に、「今、ここ」を生きることこそが大切だということ。

病気や老いで身体が動かなくなっても、今日という日にできることは必ずある。私自身、母の死から25年ほど経って50歳で心筋梗塞を経験した。

当初は絶対安静で、自分で身体の向きを変えることも許されなかったが、やがて少しずつ身体を動かせるようになると、母に倣ってベッドの上で読書を始めた。

そうやって病床で本を読みながら、気づいたことがある。今、自分は本の中の世界に没入しているが、これは決して現実逃避などではなく、現実を超え、自分の置かれた状況から自由になる行為なのだと。

たとえ病気で身体が動かなくなったとしても、人にはできることがたくさんある。どんな状況に置かれても、常に自分ができることを考え、それを実行することができる。

これこそが、母の教えてくれた「自由に生きる」ということなのだと。

これは決して、特殊な話ではない。「病気」を「老い」に置き換えれば、誰もが直面しうる話なのだ。人は老いを迎える中でいろいろなことができなくなっていくが、それでも、できることは残っている。

そしてその「できること」は、自分で諦めさえしなければ思った以上にたくさんあるはず。そのできることを見つけ、実行していくことこそが、老いてもなお自由に生きることではないだろうか。

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私の母は55歳の時、癌で亡くなりました。今、岸見さんの本を読んで、母のことを思い出していますよ。

ー続くー