引き続き、アドラー心理学の大家・心理学者の岸見一郎さんの《老いる勇気》から抜粋した文章をわかりやすくまとめ、アップしますね。

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60歳を過ぎて未知の語学に挑戦するのは、誰にでもできることではない、だって?

いや、そんなことは全くない。多くの人は「もう歳だから、できない」と単に思い込んでいるだけだ。

アドラー心理学の知見でいえば、「できない」と思いたいがために「年齢による衰え」を理由に挙げているに過ぎない。

なぜ「できない」と思うのか?それは、アドラーがいうところの「不完全である勇気」を持てないからだ。

新たなことに挑戦すると、「できない自分」「不完全な自分」であることが露呈するかもしれない。そんなことにはとても耐えられないから、高齢であることを理由に、初めから「できない」と決めつけてしまう。

だが、私が韓国語の勉強で間違うことを恐れなくなったように、「できない自分」「不完全な自分」を受け入れられるようになれば、若い頃のように様々なことにチャレンジすることができるようになる。

要は、「いい歳して失敗したらみっともない」などと思わないこと。何か新しいことに挑戦するときには、年齢に関係なく、誰でも失敗するのが当たり前なのだから。

子育てや仕事を終えて、自分の時間ができた人は、ぜひ何かに挑戦してみてほしい。老いてからの勉強では、純粋に、学ぶ楽しさや喜びを味わうことができる。

実際に、歳をとってから始める勉強のほうが、“学びがい”があるともいえる。

若い頃に取り組む勉強では、目標や到達点が設定されることがあるが、例えば、大学入試に合格するために勉強したり、資格を取得するために勉強したりするときなど。

見方を変えれば、勉強することが大学合格や資格取得のための手段でしかなかった人が多かった。

一方、歳を取ってから行う勉強では、目標や到達点を設定する必要がない。第三者による評価や時間の制約から離れて、自由に勉強できる。

勉強が手段ではなく目的になり、純粋に、学ぶ楽しさや喜びを味わうことができる。これこそが老いてから勉強することの醍醐味であり、それが生きる喜びにもつながっていくのだ。