前回に引き続き、心理学者の岸見一郎さんのお話をします。岸見さんが、2018年3月に上梓した《老いる勇気》の中で、〔老いの幸福〕について言及されていますね。

国民の4人に1人が65歳以上という超高齢化社会に突入した今、私たちは〔老いる〕ことに対して、どのように向き合っていけばいいのか?

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『老いることは退化ではなく変化である』。私は、老いをそんな風に捉えるべきだと考えている。年を取れば確かに、若い頃にできたことができなくなったり、病気にかかりやすくなったりもする。

しかし、そうした変化を、あえてネガティブにみる必要はない。体力的には衰えているかもしれないが、知力的にはむしろ高まるからだ。

例えば、私はギリシアの哲学者、プラトンの『ティマイオス/クリティアス』を4年間かけて翻訳し、2015年に翻訳書として出版した。

私がギリシア語を必死に勉強したのは30年以上昔の学生時代。ギリシア語からはずいぶん長く遠ざかっていたが、単語や文法を忘れていないどころか、若い頃に比べてより深く内容を理解することができた。

年を取り、人生経験を重ねたことで、若い頃には見えなかったものが見え、読解力が総合的に深まったのだろう。

このように、〔老い〕は退化を意味するわけではない。〔進化〕することもあれば、〔深化〕することもある。

そうだとすれば、〔老いること〕は〔退化〕でも〔進化〕でもなく、単なる〔変化〕だと捉えたほうが、ずっと生きやすくなるのではないか。

〔老い〕を〔退化〕と捉えてしまうと、歳をとってから、なかなか新しいことにチャレンジできなくなる。

しかし、学生時代の受験勉強と同じくらい本気で取り組めば、たいていのことはマスターできるはず。

例えば、私は60歳から韓国語の勉強を始めた。きっかけは、《嫌われる勇気》が韓国で125万部を超えるベストセラーになり、講演会に呼ばれる機会が増えたこと。

講演では、もちろん通訳の方のお世話になったが、講演の初めに韓国語で話せるようになりたいと思った。それで、韓国人の先生に付いて勉強を始めたわけだ。

韓国語の勉強では、英語やギリシア語では絶対にしない、初歩的な間違いを何度も繰り返した。先生の前で、すごく恥ずかしい思いをしたのだ。

しかし、そこに意味がある。中学に入って英語を初めて学んだときのように新鮮な体験だったし、学びの初心に返ることができた。

学ぶ喜びを、この年で改めて知ることができたのは、ありがたいことだ。今は、韓国の現代作家の本を先生と一緒に読んでいる。