ある程度、高齢になってくると、誰でも気持ちが沈みがちになるようなことがあると思います。
それは初老期のうつのような場合もあるし、また、同世代の友人や知人がどんどん欠けていったりすると、心寂しくなるものです。そんな時は、これからのことや未来のことを考えるより、むしろ過去を振り返ることが大事だと思っています。
記憶の引出しを開けて回想し、繰り返し記憶を確かめるたびに、鮮やかにその時の出来事が蘇ってくる。「過去を振り返るのは後ろ向きだ」という人もいますね。「歳を取っても前向きに生きよ。それが元気の秘訣だ」という意見も決して少なくない。
だけども、前だけを向いていたら、その先には“死”しかありません。
それよりは、あの時は良かった、幸せだった、楽しかった、面白かった、また、辛かった、苦しかった、悲しかったと、いろんな場面を思い浮かべては、それをなぞっていったほうがいい。
誰もが、そんな回想の引出しを持っています。時々開けて出していかないと、さび付いて出てこなくなってしまう。だから、何度でもその引出しを開けたほうがいい。
過去を思い出すことで新たな発見もあります。テーマをひとつかふたつ掲げて、その時に出会った人や場面などを思い出す。なぜその人に会ったのか、その時の場所はどこだったか、誰が一緒にいたのか、どんな話をしたのか。それらはすっかり忘れているけれど、不思議なことに、輪郭がおぼろげになってくると、少しずつ、その時感じたことや相手の言葉が鮮明になってくる。
それらは老齢期の脳の活力を高め、うつなどから救ってくれる起爆剤にもなりうるのです。また認知症の予防にもつながり、現在、これらは〈心理回想法〉として医療の現場でも取り入れられていますね。
蘇った記憶は、もちろん楽しければ楽しいほどいいでしょう。だけど、それが辛く苦しかった出来事であっても、「何とかこれまで頑張ってきた。自分の人生、捨てたもんじゃないなぁ」と肯定的な気持ちになることも多く、心理的な効果は高いと言われていますね。
回想の元手は、自分の頭の中にあります。元本を割り込む事など全くないし、無限に存在しています。これほど安心で、安全で、しかも効果が期待できる財産は、そうそうありませんよ。
頭の中で記憶を蘇らせるだけでもいいし、その記憶したことを文字にして家族に遺すのもいい。ぜひ、人生を回想することに関心を持って頂きたいと願っています。