過去を思い出すことや回想にふけるというのは、そのイメージとは対照に、たいへん積極的な行為だと私は思っています。

私たちは常に一つの時代を生きてきました。自分の過去を思い起こすことは、その時代を検証するということになりますね。

そのため、《ライフヒストリー良知》では、昭和元年から平成31年までの“政治/経済/国際/文科/社会/世相/トピックス/流行した言葉/ヒットした映画・歌・本など”を年表にして詳細に掲載し、顧客にその時代のことを思い返して、いろいろ検証して頂いています。

https://life-history.jp/nenpyou/

【これを見るためには、パスワードを入れる必要がありますが、太平洋戦争が終わった1945年(昭和20年)、大阪で万国博覧会が開催された1970年(昭和45年)、昭和が終わる前年1988年(昭和63年)については、パスワードなしで閲覧できるようにしています。】

この〔時代の検証〕ついて、作家五木寛之は次のように述べていますね。

★★

私は世に言う『歴史』というものに、ずっと疑問を抱いてきた。昭和史という。現代史という。しかし、自分が生きた時代の実感とかかけはなれた記述のような気がするからだ。

たとえば、昭和の前半、敗戦を迎えるまでの日々に私たちはどんな歌をうたっていたのか。

私の記憶にふっと浮かんでくる一つの歌がある。歌というより唄と書いたほうがいいのかもしれない。

〽朝鮮と、(ヨイショ)支那の境のアノ鴨緑江

という小唄のような文句だ。たしかに「鴨緑江節」とかいったような気がする。

鴨緑江は北朝鮮と中国の国境を流れる大河である。白頭山に発して海へ注ぐ。

ここに戦中、巨大なダムが建設された。有名な水豊(スプン)ダムである。

東洋一とか称されたこの水豊ダムは、当時わが国の技術の粋をつくして建設された画期的なダムといわれた。

旧満鉄の特急「あじあ号」が、戦後の新幹線に生まれ変わったように、あの黒部ダムもこの水豊ダムの血脈を引いていると言ってよい。

満州は戦後の日本にそっくり再建されたというのが私の勝手な意見である。

私の父は学校の教師だった。仲間が集まると宴会に必ずこの唄が出た。当時の植民地経営のロマンチシズムは、このような唄にもしみついていたと言っていい。

軍歌や戦意昂揚歌だけが私たちの周囲にあふれていたわけではない。生活のあらゆる細部に歌があり、それはすべて当時の風潮を反映していた。

それらの歌を集めれば、昭和万葉集とでもいえるアンソロジーができるだろう。いま年表や現代史に記録されているのは、それらの歌のほんの氷山の一角にすぎない。

歴史とは感情の堆積でもある。深層海流のように深く大きな国民感情の流れというものがある。私たちは丹念な回想によってしかその深部に触れることはできない。

個人的な思い出が見えない歴史を作るのだ。回想とは、そこに触れる積極的な行為でもある。

★★

私もまったく同感ですね。

ー続くー