昔の偉い人たちは、年齢を重ねてどんなふうに考え生きてきたのか、今、いろいろ調べています。
以前、僕が関わる高齢者施設に、国立大学の経済学部の教授で、今は名誉教授というたいへん立派な90歳になる男性が入所してきました。僕とはたいへん気が合い、1ケ月ほどの滞在でしたがいろんな話を聴かせて頂きました。
「先生は、自叙伝とか自分史を書かれないのですか?」と訊いた時、「カンさん、実はもうすでに書いたんだよ。これこれ」と言って『徒然草』という題名で書かれたその方の自伝を見せて頂きました。大学生活で出会った人たちとの交流、専門である経済学を研究していた時の心もよう、退官したあとの夫婦の会話など、克明にしかもわかりやすく書かれていました。
徒然草とは?
日本でもっともよく読まれている本のひとつですね。“徒然なるままに日暮し、硯に向ひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ物苦ほしけれ。” 『徒然草』のこの冒頭はとても有名。
徒然、つまり退屈でならない吉田兼好(けんこう)法師は、「終日、硯を前に置いて、心に浮かぶとりとめのないことをあれこれ書いてみた。読み返してみると、われながら妙なものが出来上がった」という意味なんです。
現役を退くと、にわかにやることが無くなっていく。当初は「ああ、せいせいした。これからは自由な時間を活かして趣味とか旅行とかゴルフとか、好きなことをいっぱいやるぞ。」と言う人もいるけれど、大方の人は時間を持て余し、新しい生き甲斐探しに取り掛かっているというのが実際のところですね。
兼好も、おそらく同じような気持ちだったに違いない。だけど、もともと歌人であった兼好は、古典に通じて、机に向かって読んだり書いたりするのは得意でしたからね。いつも手元に硯と紙があったのでしょう。
世の中は、兼好のように文章を書くことが好きで得意なひとばかりではありません。でも昔の思い出の数々、兼好にように心に浮かんだをあれこれを口に出して語ることはできるはず。それを僕たちが書き留めて、その人だけの『徒然草』にして遺していきたいと思っているんですよ。