司馬遷は、〈史記〉の「刺客列伝」の中でこう言っています。「ここに掲げた刺客は、ある者はそれに成功し、ある者は成功しなかった。しかし、いずれも一度志を決めたことを守り通した。彼らの名は後世に遺った。彼らの行為は決して無意味ではなかった。」と。

中国のことわざに「豹は死して皮を留め、人は死して名を留む」(新五代史)というのがあります。古代から中世にかけて中国では、自分の名前を歴史に刻むために死ぬことが往々にしてあった。当時の中国人にとっての歴史はかくも重い存在だったのですね。

これは、あたかも宗教に通じるものがあります。キリスト教もイスラム教も、最後の審判の後に真の救済が訪れるとし、そのためには現世の幸福などにこだわるなと説いています。

いわば中国の〈歴史教〉もそれに似た構造があるようです。中国では歴史の中に名を刻むことで永遠の命を得るような構造。〈史記〉に出てくる刺客はまさしく〈歴史教〉の殉教者だったのです。

中国は儒教の国です。儒教とは集団救済の宗教で、個人の救済を説かない。この世に聖人が現れ、理想的な政治が行われることで天下の万民は救われるという考えなのですね。

歴史に永遠の名前を遺す」という思想は、集団救済のみを目的とする儒教を補完するものと考えられます。親に孝、君に忠を貫き、義士として生き抜いてきた人間が死んでも天は彼を救ってくれない。しかし、〈歴史〉が彼を個人救済してくれるということなのでしょう。

古代の中国における〈歴史家〉とは、単なる記録者ではなかった。司馬遷は歴史の重さを知り、歴史に殉ずる覚悟を持ってはじめて〈歴史家〉になれると語っています。まるで中国の〈歴史家〉とは、苦難の道を歩む旧約聖書に出てくる〈預言者〉そのものではないですか。

司馬遷がいたからこそ、刺客たちは歴史に名を遺すことができました。現代における個人史もまた〈ライフヒストリアン〉という〈歴史家〉がいてはじめて後世にその姿を遺すことができる。

ライフヒストリー良知のミッション〉は、まさにそこにあるのですね。